上関林用軌道 その2




 森の轍で公開されている予想図によると、軌道跡はしばらくは車道に転用されているが、またすぐに車道と別れ、車道よりも高所を走っていくようだ。町道に転用された区間ではめぼしい遺構は失われていると思われる。道路の下や横にある石積みがひょっとしたら当時のものかもしれないが、その手のものは今更取り上げるほど珍しいものでもないはずだ。なので、この区間はスパッと切り捨てて、町道と軌道跡が分かれる地点を探すことにした。




 自分の経験によると、車道化の際に軌道跡は大きく削り取られ、その境は判然としない場合がほとんどである。そこで注目するのは谷間である。どんな川にも大なり小なり支流がある。等級の低い路線では大規模な橋は架けられないので、その周辺には道路から離れた位置にちょっとした平場とか橋台が残っている場合がある。A地点でそのような怪しい平場を見つけた。



 見つけた平場に登ってみる。道なのは確かだが、たまに古い里道が残っている場合もあるので油断はできない。なので、まずは奥の方へ進んでみることにした。軌道跡であるなら、この先に橋台が残っているだろうと思ったからだ。そして期待通りにそれは残っていた。起点側に小規模だが石を積んだ跡があった。軌道跡と見て良さそうだ。終点側は崩れてしまったようだ。



 軌道跡なのが間違いなさそうなので、車道と分離した地点を探すため起点方向へ戻った。それほど長い距離はないだろうと思っていたが、存外長く続いている。しかも、車道のスレスレとかではなく、少し離れた傾斜の緩い所を走るような所もあった。




 B地点まで戻ったところで軌道跡は終わっていた。そこもA地点と同様、地形図にはない小さな支流が注ぎ込んでいるところだった。幸い?橋台は残っていなかったし、残っている平場も下からは見えにくいところにあったので「うわ・・・っ、私の観察力低すぎ・・・?」とはならないで済んだはずだ。たぶん。



 分岐地点がわかったのでA地点に戻り、改めて奥地を目指す。A地点をすぎると、程なく軌道跡は車道から離れ、行川の支流(地形図にはない)に入った。やや山岳路線の雰囲気になってきた気がする。




 橋の跡があった。終点側の橋台が残っているが、土砂にだいぶ埋まっているように見える。起点側は判然としない。



 C地点を過ぎると急に状態が悪くなった。斜面が軌道の方に迫っており、激しく藪化している。



 「急にどうして?」と思っていると、未舗装の林道に当たった。地形図にも実線で描かれているものだ。林道には平坦な区間がなく、軌道跡を踏襲しているわけではないようだ。右手の斜面は岩盤を削って壁のようになっている。嫌な展開だ。こういう場合、軌道跡との接続は図られていない場合が多い。



 事実、ここも3メートルほどの崖の上に孤立していた。ここを登るのは難しそうなので、町道を進んで斜面が登りやすそうなところを直登した。



 難なく軌道跡に復帰できたので中断地点を確認しに戻る。迂回した距離は大したものではなかったので、程なく林は途切れ、同時に林道の直上にたどり着いた。



再び奥地を目指す。 急カーブの跡を行くF氏。その上の斜面に注目。平場がある。このときは古い里道なんかの跡かな?と思っていた。




 良い意味で予想は外れた。軌道は突如右旋回。そのまま急カーブ堀割へINしている。ヘアピンカーブだ。



 このヘアピンは事前情報になかったので、予想外にめぼしい遺構を発見できた事に盛り上がった。



 進んでいくと先程(二個上の画像)の場所に出た。



 進路が反転したため、今は下流方向へ戻っている。進路をもとに戻すため、もう一箇所のヘアピンがあるはずだ。もっともその"もう片方"は期待薄だ。理由はこの下の林道だ。後に車道が作られたところでは片方が潰されていることが多かった。ここもそうなる気がした。



 その予想も無事に的中しそうだ。軌道跡は早くも林道に切り取られた。



 車道には降りず、そのまま斜面を直登することにした。下から斜面の上の平場は探すのは難しい。ここから斜面を登れば間違いなく上の段にぶち当たるはずだ。



 三段目に登りつめたところで一息入れるF氏。上の段は案外低いところにあり、下と同様、すぐ先でスパッと切れ落ちていた。下の段との高低差と勾配から勘定すると、やはりヘアピンは林道に潰された可能性が高い。実は二年後(2019年末)になってからも「車道と川の間になにか見つかるかも」と思い再訪してはみたが、もはやいかなる痕跡も二度と発見されることはなくなっていた。おそらくC地点もズタズタだろう。


 1945年の空中写真と今の空中写真を比較してみたもの。CD間の軌道跡は現代の写真でも意外と痕跡がわかる。

 半分とはいえ思いがけない発見に満足したので先に進もう。DE間の軌道跡はしばらく杉林になっている。傾斜も緩やかで林鉄らしい目立つ遺構はない。ただE地点に近づいてくると岩を削り石を積んだ所を見るようになる。



 E地点にも地形図にはない谷川が流れており、軌道は少しだけ谷の方へ入り込んだ形だ。地形図にないくらいだから谷の深さは浅く、軌道は石積みの築堤で谷を超えていたようだ。しかし、暗渠はもう役目を果たしておらず、山手の方は完全に埋まってしまっている。



 進行方向には一文字の軌道跡が斜面を走る。どこの軌道跡を歩いても、無意識にこういう写真が残っている。どうやらこういう景色が好きらしい(無意識)。



 E地点周辺とEF間は、傾斜が急で岩石も多く、建設時の苦労を窺える箇所が多い。Eの谷から行川沿いに戻るところで軌道は急旋回しており、岩の切り通しがある。杉林の中を暫く行くと・・・・




 築堤が残っていた。こちらは暗渠も機能している。E地点のも元はこんな風だったのだろうか。



 突如電子音が鳴った。取引先からの電話を受け取るF氏。電波きてるんかい。林鉄跡は大抵山の奥にあるため、携帯電話が使えないことが多いので、たまに電話が通じることがあると珍しく感じる。



 しばらく行くと3メートル以上ある岩の壁があった。



 そこから数分で片洞門も。天井はかなり余裕をもたせた高さになっている。



 片洞門からすぐのところ。右の斜面が石積みになている。近くには五右衛門風呂の跡みたいなのも。集落跡だろうか。



 変な鉄棒。軌道のものだろうか。ここは分かれ道になっていて、山道を下ると車道に出ることができる。兼山公の罠で時間を食ったので、今日の探索はここまで。




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