西の川林用軌道跡3


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 前進再開。AB間は車道化されていて遺構はなさそうだと思ったし、距離も近いのでそのまま車に乗って通過した。というか、下見を兼ねて過去に走ったのでなにもないことを把握済み。
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 程なく川を跨いでいるコンクリートの橋が見えてくる。林鉄遺構である。これは過去には西条市観光協会のwebページで紹介されていたことがあるので、見覚えのある人もいるかも知れない。一応跡地→http://saijo-imadoki.heteml.jp/archives/2670(今踏んでも何も出ない)
軌道はこの橋で右岸に渡り、更に上流部を目指している。ちなみに林道(自動車道)はそのまま左岸を上流方向へ向かっている。しかしそちらもやがて右岸にわたり、Uターンして、下流方向へ戻ってくる。つまり軌道跡とクロスしている。
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 林道の横からしれっと軌道の橋が別れている。段差もバリケードもなく、そのまま車で突っ込めそうな気さえする。幅が合わないので亀になるのがオチだが。
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 橋の取り付き部でかなり急曲線を描いているが、さらに橋の途中にも屈曲がある。橋は川と直角に交わっていて、軌道は90度方向転換している。人っ子一人いない事をいいことに堂々と歩いて渡る。もちろんおすすめはしない。下から木も生えているので結構真剣に行かないと危ない。
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 1径間目を通過すれば木が減るのでやや余裕が出てくる。足元を観察してみると、桁からは丸鋼が剃り残しの髭みたいにたくさん出ている。一体なんだろう。針金で枕木でも留めてたのかね。奥の方では橋桁がかなり太くなっている。幅もそうだし、高さが段違いに大きくなる。横からの画像だとわかりやすい。手前の2連は桁が短いが、奥の太いほうは川をひと跨ぎにするため、太く長くなっている。もちろんそれなりの強度が必要だからだ。
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 振り返って。車は橋の取り付き部が少し広かったのでそこへ駐めた。ちなみにこの日、自分以外の車は一台も通らなかった。
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 対岸方向。ここから足場が広くなるので歩きやすい。橋は半島というか、尾根に向かって架けられている。その先に平場が続いているのが見える。元々は大きな岩の塊だったのを削り取って平場を通したのだろう。
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 こんな橋だが、大昔には登山道の一つとして重用されていた。キャプションによると、このイナバ物置のCMかよと言いたくなるような写真は、昭和16年に瓶ヶ森登山へ向かう(帰る?)女生徒の一団を捉えたもののようだ。単に女学校とあるだけでどこの学校かは書かれていなかったが、地元の西条高女(今の西条高校)だろうか。橋の名前は赤谷橋とあるが、営林署が定めた正式な名称であるかはわからない。

「ふるさとの思い出写真集 西条」より引用
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 橋を渡りきった。起点方向を見る。よく見ると、二本目の橋脚のところでもほんの少しだけ橋が曲がっている。橋の途中にあるのはただの岩である。誰かが置いていったのだろうか。それとも落石が転がって隙間にも落ちずあの場所まで転がったのだろうか? 橋のすぐ上流側の河原が赤茶色に染まっている。原理は知らないが、斜面の上の方に廃坑があって、排水の影響でこうなるらしい。ひょっとしなくても赤谷という名前はここから来ているのだろう。
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 橋の先。平場があるが、直ぐ先で土砂崩れ。手前に置かれている箱は養蜂箱。あの橋を渡って蜂を育てに来ていた人がいたみたい。
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 上の林道を作ったときに土砂を落とし込んだのかね。元々は切り通しだったようだ。
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 その先も道がない。降り積もった土砂が道を斜面に戻してしまったのか。
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 そこも進んでいくと左に大きな壁が現れる。林道の擁壁である。先述の通り、上流で川を渡り、こちら側に戻ってきている。軌道跡と何度か重なるが、、クロスしているだけで跡地を踏襲しているわけではない。さて擁壁の先に目をやると、岩場がボコっと迫り出している。そこに穴が空いているのがみえる。トンネルである。これもチラホラとSNSやブログに画像が出ているので、知っている人は知っているという感じ。ちなみに自分は割と最近まで知らなかった。調べた限り、出回っているのは入り口の画像だけで、内部や出口の様子はまだ世に出ていないようだ。埋め戻されているのだろうか。
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 もちろん調べに入るつもりだが、問題になるのは手前の足場の狭さだ。元々はちゃんと平場があったと思うが、上の車道の擁壁に占拠されてしまい、傾いた僅かなスペースしか残っていない。
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 「ヒエエ、おっかねえ」と思ったが、立木がそこそこあるので案外それほど怖くなかった。見た通り入り口には土砂が堆積している。人為的に塞いだものなのか、単に上から降り積もったのかはわからない。結構長い年月こうなっていたようで程よく締まっている。よじ登るときに崩れたりはしなかった。
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 良くも悪くも普通のトンネル。見る人が見るとまた違うのかもしれないが、素人が見て面白い箇所はないようだ。結構天井が高いなという印象はあるが、幅が狭いせいかもしれない。巨石をくり抜いて作ったらしく、壁はすべて岩である。出口は埋没かと思ったがしれっと開いている。が、えらく穴が小さいぞ。
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 出口を狭めているのは雑な石積みとコンクリートの塊だった。土砂も積もっていて地面が大分高くなっている。
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 コンクリートは擁壁のブロックだった。トンネルの山側半分は車道の下敷きになっているようだ。
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 押し出されるトコロテンのごとく、にょろーんと脱出。穴が狭いので方向転換できない。
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 トンネルの先は完全に車道に侵食されているようだ。
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 トンネル出口と車道。半分下敷きになっていると言ったが、擁壁が垂直じゃないので、ギリ被ってないかな。
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 これは入り口。
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 トンネルの先。車道はこの画像の奥のあたりで川を渡り、Uターンしてきている。かつての軌道と重なっているが、嵩上されていて路面の高さは異なる。
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 対岸からだと車道の下にも所々石積みが残っているのが確認できて、ここが確かに森林鉄道だったことを主張している。
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 冒頭の紹介の通り、この軌道には3本のインクラインがあった。二本目はトンネルを出て間もなくのところ、車道の橋の付近にあったようだ。恐らく車道化の際にいくらか土地を削っていると思われ、痕跡は見つからない。
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 昭和50年代はこんな感じでインクラインの跡がくっきり見えていた。谷筋に沿って樹木の薄いラインが伸びている。車道の橋の少し上流側から山を登り始めていたようだ。無論、その先の中部軌道の跡も。チェンジ後は参考に近年の画像。軌道の痕跡はほぼ見えなくなり、かわりに車道がグネグネ伸びている。
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 過去の空中写真は事前に何度か確認していたが、探索時は細部までは覚えていなかったので、橋の辺りという記憶と見た感じで、橋の正面にあるこの擁壁のところが怪しいと踏んだ。(携帯の電波がなかったので現地で空中写真は確認出来なかった。空中写真は毎回ローカルに落としていくのがいいな)。
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 後でもう一回見直したところ、橋の正面よりも少し上流側だと気づいた。事実、橋の上流にもちょっとだけ平場がある。たまたま写真は撮っていたが、車道化のとき削った土砂を押し込んだものだと思っていた。
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 ここの辺りを登っていたらしい。確かに谷筋になっていて少し水が流れている。・・・ひょっとしたらこの辺は陸橋になっていて、ハナから遺構はないのかも。
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 橋の上から起点側(トンネル方面)を見る。向かって右側の岸に軌道が通っていたが、一見するとここが軌道だったとは気づかない。



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