伊尾木林道小川線跡2


 鋼製の橋が放置されている。地形図を見ると、なぜか川自体が書き込まれておらず、川の名前も、そこから橋の名前を推測することも出来ない。等高線の形を見ると、二つの谷が合流しているらしく、地図にも載ってない割に深い谷が刻まれている。この橋がなければ、前進するのには大変難儀しただろう。
 橋台はコンクリートだが、下の方は石積みのままになっている。元々は木橋だったが、後に改修されたんだと思う。それが現役中のことか廃止後なのか判断はつかない。だが、建材を運びこむ手間を思うと、トロッコに乗せてきたと考えるのが自然だ。
 スパンが長いので、歩くとどうしても小刻みに揺れるが、鋼製っぽい揺れ方をしていて、落ちるかもという心配を抱くことはなかった。路面も大丈夫そうだったが、念の為に踏み抜かないようになるべく梁の上を歩いた。ここまで約2時間の道程である。
 橋を渡ってしばらく行くと、沿道にこのようなプラスチック製の柱がいくつも立っているのに気づいた。表には九とだけ刻印があり、進んでゆくに連れ、この数字はだんだん増えていった。距離標なのかとも思ったが、、裏を見てみると林業公社の刻印が入っており、軌道の廃止後か末期に作られたも無関係の物のように思える。高知県林業公社は昭和36年の設立である。
 ここにも橋の跡。
 コレも橋の成れの果てかな。
 やがて、川沿いに走っていた軌道跡が、突然クイッと曲がり、山に向かい始めた。
 そう、ここにはトンネルが残っている。ここが第二のチェックポイントである。
 正式名称はわからないが、先人に倣って第一隧道と呼ぶことにした。奥地にもう一本あるが、やはり第二隧道と呼んだ。坑口付近のみコンクリ施工で内部は素掘りのままになっている。
 路面には枕木を撤去した跡が鮮明に残っている。廃止後にここを通過した人間が少ないことを表している。
 出口の上から光が漏れている。
 終点側の痛みが激しく、コンクリ巻きの裏から崩れて始めているようだ。何年かすると崩落してしまうかもしれない。
 斜面に土砂が流れている。締まっているので古い時代に崩落したようだ。
 小川川まで一気に流れ落ちている。
 碍子を発見。奥へ向かう電話線の跡だろうか。マフラー巻き氏はトンネルの前で電柱を発見したようだが、自分は気が付かなかった。
 深い谷に出た。奥地へ向かい、段々と地形が険しくなっている様子がわかる。
 誰が残したのか、ロープが谷底へ垂れていた。ありがたく使わせてもらった。
 谷底から。
 切り通しを抜けて。
 ますます深くなった谷。
 ここにも木橋の構成材が散らばる。ボルトが刺さったままになっている。10年か15年早ければ形が残っているものもあったかもしれない。
 また切り通しを抜けると・・・・・
 また別の谷に出る。ここにも大量の木材が散らばっている。何度も見つかるのでもうウケない。
 切り通し、谷、橋台、切り通し。短時間に連続して現れる。パターン入っちゃった? たぶんこのすぐ後も谷にぶつかって橋台を発見するだろう。
 予想通り。しかし急にショボくなったぞ。
 この区間は勾配がきつい。
 軌道と川の間に広い平坦な土地があった。集落跡のようだ。川の向かいにも緩やかな傾斜が広がっており、古地図には名川という地名がある。
 路体に近い所にレールが一本落ちていた。
 引っ張り上げ、かつての居場所に戻してやった。やはりレールはこうでないと。
 林道沿いではポピュラーな丸看板。山火事ではなく山火なのがミソ。
 標高を上げつつ集落横を走り抜ける軌道跡。
 切り通しを抜けて集落跡とお別れである。
 小川線では全体を通してこのような木製の桟橋のようなものが見られる。謎の存在だ。素直に桟橋なのかもしれないが、路肩が痩せないように保護しているということも・・・・?
 大規模な崩落があったようだ。小川線で1,2を争う規模だ。
 そこから間を置かず橋の跡がある。
 起点側の橋台がコンクリートになっている。じつは、今までにも何ヶ所かコンクリート製の橋台があった。幾度も改修を受けてきているのだろう。
 この谷には山男が架けた丸太橋があった。使わせてもらったが、流石にヒヤヒヤした。
 そして、第三のポイントに到着したようだ。

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