伊尾木林道小川線跡6


 14時15分。自分は事業所跡の只中にいた。間近で見るほど、その末期的状況が見て取れる。これは山手の建物で、恐らくは作業員の宿直所だったと思われるが、95%は形を失っている。むしろ5%程だけでも、建物らしさが残っていることが、もはや奇跡的と言えそうだ。
 川手の建物は完全に二次元に変換されている。コレじゃ家捜しできないジャン。伊尾木ダムの下流で見つけた事業所跡とは雲泥の差だ。路線の開通時期的に見て、ここの建物の方がひょっとしたら新しい可能性もあるが、どうしてコレほど差が出たのだろう。
 まあ、無理も無いか。屋根が波トタンだ。厚さ一ミリに満たないこの薄い鉄板は、一度錆び始めたらその薄さもあって、あっという間に穴が空き、広がってゆく。定期的な修繕で寿命は伸ばせるが、このように放置された家屋では、腐り落ちるのが定めだろう。一方、伊尾木ダム下の事業所は瓦屋根だった。それが明暗を分けたようだ。
 そして、この旅のもうひとつの目的と対面した。この、ボロボロの原付バイクを自分の目で見たかったのだ。その名はホンダスーパーカブ。今のホンダがあるのもこの単車のおかげと言っても差し付けない、偉大なバイクだ。今のカブとデザインが違うと思うかもしれないが、50年前はこんなデザインだった。特にハンドル周りはすっきりとした印象を受ける。自分自身もスーパーカブを愛用しており、この初期デザイン車は気になる存在であった(ちなみに今朝軽トラに乗せてきたのもカブだ)。昔一度だけ、高知市内を走行中のものを目撃したことがあったが、二度目がこんな所になるとは思っても見なかった。とはいえ、単に古くて珍しいから見に来たかったのではない。徒歩で7時間もかかるこのような山奥に、原付バイクが放置されているとは、当初は全く予想だにしておらず、その事実に衝撃を受け、惹きつけられたからだ。
 それにしても、どうしてこんなところで朽ち果てているのだろう。自由に走り回れるバイクはいくらでも転用がきくだろうし、不要なら民間に払い下げという手もあるだろう。帳簿だってあるだろうし、今現在、このバイクがどのような扱いになっているのか非常に気になる。最後にこのバイクに乗車し、エンジンを止めたのはどんな人だろう。
 この時代のカブの車体番号は、型式-製造年-製造番号で構成されている。真ん中の数字は60だから、1960年製となる。今年(2016年)から、56年も昔だ。型式はC102となっている。50ccモデルのセルモーター付きのグレードがこのC102という型だ。
 走行距離は6000キロ後半だったかと思う。最小単位が一キロで四桁しかない。言うまでもないが、このバイクは軌道跡を自走してきたのだろう。あの二本のトンネルも、小川川を渡る橋も、つづら折れも、このバイクは通過してきたのだろう。
 遠目に見て、サイドボックスが取り外されているのが気になったが、どうも部品盗にあっているようだ。バッテリーやキャブレターがなくなっている。ただ、バッテリーボックスのステーをご丁寧に戻しているのが気になる。多少の知識のある職員が、共食い整備で持って行った可能性も無きにしもあらず・・・・か。そもそも、エンジンも交換されているようだ(始動用のセルモーターがない。よく見ると、スタータースイッチもない)。
 空中写真からは大きな二つの建物が確認できたが、上流側にも小さな建物の基礎が残っていた。
 コレは風呂の跡だろう。ボイラーからの配管がつながっている。
 配管を追っていくと、少し離れた小さな小屋に行き着いた。やたら綺麗な状態で残っている白い円筒がボイラー、というか、大型の給湯器のようだ。ほかに猫車も転がっている。
 もっとゆっくり観察して行きたかったが、時間が押しているし、期待したほど興味をそそるものがなかったので、先へ駒を進めることにしよう。
 事業所跡を少し過ぎたところだが、何故かモーレツに荒れている。ここにも猫車が一台。
 やがて切り通しが現れ、この頃には路面の状況は良くなる。
 出口側より。深く長く、出口が見えない比較的大きめの切り通しだ。
 ここから切り通しの連続地帯になる。
 なんとなく気に入っている一枚。小さな車体をくねらせて通過する車両の情景が浮かんできそうだ。
 14時50分。少し左にカーブした軌道の先に、不審な巨体が見えた。
 それはどうも橋脚に見える。谷は深く傾斜は急で、登り降りはかなりめんどくさそうだ。
 あれ、素通り?
 橋脚のほぼ真正面に来たが、平場はずっと奥に続いている。川を渡るなら直角に築堤が配置されているはずだが、そのような痕跡は見当たらない。進むべき方向を見定めるため、自分は地形図を取り出した。この地形図は森の轍で公開されている路線図を印刷したものであり、小川線のルートが書き込まれている。今回の探索があまりにも順調に進んでいたため、路線図を取り出したのは、これが今日初めてであった。
 路線図を確認すると、軌道は直進していたようなので、少々心に引っかかりを覚えつつも、左岸をそのまま進むことにした。すると、複線幅を確保できそうな広場にたどり着いた。
 この傍らで鉄製のフレームを見つけた。ニョキッとレバーが生えているので、集材機の運転台部分だと思う。
 この平場を突き詰めていくと、やがて支流に突き当たって途切れている。
 対岸の斜面をみると、レールが突き刺さっているのが見える。斜面が崩れて埋まったように見えるが、その先のどこにも平場が現れる様子がない。しかし、路線図ではこの先に道があることになっており、これが混乱を産んだ。徐々に迫る夕暮れとあいまって、かなり強い焦りの気持ちが生まれ始めていた。しかし突如、何かに導かれるような不思議な気配を感じ、自然な動作で視線を右上に動かした。。
ハァ?(←思わずこんな声が出た)
 あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
「おれは 軌道跡を歩いていたと思ったら いつのまにか下にいた」
な… 何を言っているのか(以下略

 謎の橋脚、素通りする平場、いつの間にか上に現れる橋台。この点を線で結んだ線形・・・・・ひょっとしてループ線? どこかにもう一つ橋脚か橋台があるんじゃ!? この何処かに・・・・・・
 そこか!
 謎は全て解けた。河原に降りて判明した、土台部分を僅かに残して崩れ去った橋台の存在。それがこのドッキリの仕掛け人だった。
 こちらは起点側。同じく基礎の方を残して消滅している。それで対岸に渡る橋があったことに気づかなかったのだ。
 右岸に渡ると、状態は極めて悪いが、たしかに軌道跡の路面が確認できる。
 濱乃鶴(田野町の地酒)の空き瓶が落ちていた。乗務中に呑んでいたのではありますまいな?
 上流側の橋台から3分歩くと、"謎の橋脚"の上に来た。もう、謎と呼ぶ必要なはないだろう。これは確実に橋脚だ。
 間近に見る橋脚。主脚を差し込んでいた三つの穴が開いている。
 で、その上に立ってみた。ただそれだけである。特に意味は無い。
 なるほど、こういう仕組みになっているのね。穴の中には主脚だったと思われる、限界まで痩せ細った木材が顔を出していた。
 振り返ったところにあったはずの橋台は、後ろの路体を含めて崩れ去っており、左下の手前と奥の丸印の部分にかすかに痕跡を残すのみだ。
 河原より見る橋脚。地面の高さもあるものの、橋脚自体も小さくはなく、自分が縮んだような錯覚を起こせる。
 橋脚は右岸にのみあり、左岸には見当たらない。橋台も見当たらない。そのかわり、この部分は切り通しの裏側に当たる。
 この斜面をよじ登れそうだ。

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