佐喜浜林用軌道跡3



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 しばらく行くと橋がある。


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 幅の広い大きな谷だったので、何かしら遺構が残っていることを期待したが、不発だった。


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 橋台の幅が広く、継ぎ足した雰囲気もないので、作り直されているようだ。


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 そもそも山手に入り込んでいたのでは?と思ったが、平場は見当たらなかった。奥の方に石積が見えたので行ってみたが、炭窯の跡画像だった。


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 それから程なく、道路縁にレールがまとめて刺さっている所があった。これだけなら特に珍しくもない光景だ。


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 がしかし、どうやらここが桑ノ木谷線との分岐点だったらしい事に気づいた。


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 「ただの壁じゃん」と思うかもしれないが、昔の空中写真を見ると、尾根を貫通する切り通しが見え、確かにここが分岐だったことがわかる。画像は車道に転換後の昭和50年台だが、軌道時代も同じだったことは旧版地図や米軍の空中写真でも確認できている。今は地図の通り、高い所に林道が付け直されている。この古レールも、転落を阻止するものではなく、なにか目立つものが取り付けられていて、交差点であることを強調させる目的だったのかもしれない。


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 切り通しが埋められた理由は砂防ダムだろう。桑ノ木谷線が敷かれていた支流に後年、砂防ダムが作られている。砂防ダムができると、堰き止められた土砂で川床が上昇し、溢れた水が切り通しの中を通ってくる恐れが出たのだろう。それで切り通しを埋め、車道は高いところにつけ直された。


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 先に佐喜浜線を進む。分岐からほど近いところに大きな橋が架かっているが、軌道はここよりも上流で川を渡っていた。右奥へ登っていくのは桑の木林道の付替道路。


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 左岸側の軌道跡へ入ってみる。なんか幅が広い気がする。


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 これは堰堤工事の時にアクセス路に使われていたパターンかな。短距離進んだあと砂防堰堤の手前で途切れている。この間に遺構は見当たらなかった。


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 右岸側へ。こっちは雰囲気的に軌道跡がそのまま残ってそう。川の蛇行の外側になるので距離も長そうだ。


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 橋の袂から踏み跡っぽいのが伸びる。


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 一段上がるとすぐ平場が残る。


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 起点側へ。途中、幅が広い。行き違い場でもあった??


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 その先、左岸側と同様、堰堤の直前で途切れていた。


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 一応、堰堤に上がって裏側も見てみたが、完全に埋まっていて軌道の跡は確認できなかった。


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 ちなみにダムの向こうは堆積した砂利で結構な広場になっている。このスペース、なにかに活用できないだろうか。


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 終点側はすぐ車道に行き当たる。浅い切り通しを抜けていくが、本来の軌道はもう少し高かったので、昔は存在しなかったか非常に浅い溝くらいだっただろう。


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 上のとは違う切り通し。だいぶ深い。


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 大きな橋を渡る。


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 これも完全に改修されているかな。


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 奥に見える橋は県道368号線。この直前で分岐していた。googleマップとかだと、上流の段地区まで県道表記になっている(手前の道)が、地理院地図では奥の道が県道になっている。県道と言っても未舗装画像で幅も狭く、今進んでいる軌道跡(林道)の方がよっぽど県道らしい。ちなみに林道は東又佐喜浜線といい、山を越えて羽根まで繋がっている。


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 それからしばらく進み、佐喜浜川と無名谷の分かれに着いた。大きな橋が架かっている。段橋という。軌道時代の橋台がないか周辺を探したが無いようだ。


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 この段には大きな集落があり、多数の林業関係者が暮らしていた。分校もあったようだ。今は完全に廃村になっており、遺跡のように建物跡が残るのみとなっている。この看板はなぜか、ここに来る途中のはるか手前に設置されていた。(県道の分岐付近)


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 対岸からみる段集落跡。なお営林署職員と一般の住民が暮らす2つのブロックに分かれていたようだ。画像は右岸側にあった職員住宅の跡(森に還っているが)。分校もこっちにあったらしい。


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 橋を渡ってすぐさま舗装を外れ、林の中に入る。


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 話は脱線するが、分かれ道の袂にガードレールの支柱を理由して「佐喜浜川砂防ダム付替道」と書かれたものが立っていた。若干ネタバレになるが、軌道跡を進んでいくとダムっぽいものがある。そこまで車道が続いているので、そのやつかな?と思ったが、そもそも軌道が敷かれていたのは佐喜浜川沿いではなく、無名の谷なので無関係のようだ。


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 昔の空中写真を見ると、段橋の上流に砂防ダムが出現しており、道路が大幅に付け直されていた。この標柱はそん時に建てられたらしい。1975年の写真にはくねくね進む道が写っているが、1985年の写真では、もう今と同じになっているので、この間に工事されたようだ。軌道の後継と思われる林道も同時に出現している。
 ついでに、桑ノ木谷線の切り通しも、75年の写真では健在だが、同じ写真だと塞がれ付け直されていた。どうもこの頃に佐喜浜川上流部で大々的に山の手入れを行ったらしい。


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 さて、軌道跡に入る。石積された路体が伸びる。


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 っと、なんか前方がやけに明るいな。


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 あらまー。これはひどい。





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