伊尾木林道仙谷線 その3






 仙谷川の左岸(東岸)を歩いている。序盤の奥安居を彷彿とさせる荒れっぷりは収まっている。むしろ、廃屋を過ぎてからA地点までは、特筆するような遺構はなく、似たような景色が続いている。少々退屈さを覚えるくらいだ。廃屋を立ち去る時点で、時刻正午を少し過ぎたぐらいだった。3時間少々歩いたわけだ。


ようやく変化があった。この小さな切り通しにも満たないような溝は、まっすぐに川にぶつかり、そこで途切れているように見える。

 近づいてみると、対岸に大きな橋台が残っている。これほど立派な橋台が残っているのだから、軌道はここで仙谷川を渡っていたのだと考えるのが普通だろう。


 

 傍らにはレールが落ちていた。一段登った所に落ちていたので、撤去品を何らかの理由でここに置き、回収を忘れたものだと判断できる。また、川手の小山にはコンクリート製の標柱が立ったままになっている。かつて伊尾木線でも同じものを発見している。軌道関係のものだと、ここに来て確信できた。


 起点側の橋台は存在しないように見えたが、若干の石積みが残っている。

 昼食時を過ぎていたこともあり、この橋台の前の河原で昼食を取ることにした。探索のときは決まってカ◯リーメイトだ。嵩張りにくいのが長所だが、口の水分を持っていかれるのが難点だ。しかし、遺構を眺めながら食べるカ◯リーメイトも乙なものだ。


 5分程度の小休止の後、前進を再開した。対岸へ渡ると、そこは広場になっていた。石積みが残ることから人工的に造られた土地なのだと分かる。地形図には反映されていないが、ここは仙谷川とその支流の分岐地点になっており、広場は二つの川が股になった傾斜の緩い部分に広がっている。



 さて、問題は続きだ。どこを探しても軌道の続きが見えない。完全にどん詰まっている。こういう展開は前にもあった。小川線のインクライン下で右往左往した思い出が蘇る。こういうときに大事なのは、先入観や思い込みを捨てることである。続きがないというのなら、軌道はこちら側へは来ていなかった。あの橋台はただの人道橋のものだった。そう思うしかないだろう。


 D地点に引き返し、左岸を上流へ歩いてみた。横目に見る右岸には所々石積みが残っており、「けど、しかし・・・」と、抱いた確信をグラグラ揺さぶってくる。


答えは意外とあっさり得られた。この物体。明らかに人工物である。絶対に橋台の残骸だ。それ以外に考えられない。やはり、軌道はずっと左岸を走っていたのだ。

 とすると、あの橋台は一体何なんだろう。人道橋にしては立派すぎるが・・・・・。自分なりの仮説だが、ひょっとしたら当初はあそこが終点だったのかもしれない。冒頭で述べたように、この路線は昭和9年と16年の二段階に建設されている。9年の時点での延長がわからないので確信はないが、そのときはあの広場が終点だったのではないだろうか。それが正しければ、あそこは切り倒した丸太を仮置きしておく、山土場という場所だったのだろう。簡素な小屋も建っていたかもしれない。その後軌道が延伸されるとき、この場所からでは先に伸ばしにくいので、こちら側に軌道を敷き直したのかもしれない。下流にあった廃屋の残る斜面は、やはり純粋な集落跡なのだろう。
 とまあ、なんだかんだ言ったが、当時を知らないのでなんとも言えない。ただの人道橋だったのかもしれない。


 右岸の橋台も崩壊していて断面を晒している。右岸に渡った軌道跡は方向を変え、下流方向に向かって行っている。ここもヘアピンカーブというわけだ。麓から数えると五ヶ所目のヘアピンカーブである。ここから怒涛の連続ヘアピンが始まる。


 間髪入れずに切り通しがある。上の写真に小さく写っている。割としっかりと形が残っている。



 切り通しを抜けると藪に襲われる



 そんな中に、回収漏れのレールを一本見つけた。



 薮を脱出すると広場になっていた。川沿いの広場の一段上にある。ここにはコンクリートで固められた穴が残っていた。ここに事業所が経っていたのだろうか。



また切り通しがある。形もしっかり残っている。



 切り通しを抜けるとそこはすぐ川の上であり、路肩が痩せてところどころ落ちている。この川は仙谷川の支流である。



 この状態は少し長く続く。やがて谷底が近くなってくる。




すると間もなく、対岸に橋台が現れ、その先に路体が続いているのを確認できる。


 対岸に渡り、起点側を見る。写真では確認しづらいが、岩の上に若干の石積みが残っていて、それが橋台として利用されていたことが分かる。強度を持たせるために自然の地形を利用するのはかなり有効だと分かる。


 右岸に渡った軌道跡だが、右岸を走るのは一瞬だけで、またすぐに左に戻っている。


 橋台は両岸とも崩壊していた。軌道は対岸に戻るや向きを変え、下流方向に戻っていっている。麓から通算して六ケ所目のヘアピンカーブである。一瞬だけ右岸に渡っているのは土地の節約のためだ。


 今しがた歩いてきた軌道跡を下に見つつ進んでゆく。急速に高低差が開いてゆくので、見通しの良い所を見つけたときには、カメラを傾けないと一枚の絵に収まらないほどになっていた。


左カーブに差し掛かる。F地点の切り通しの上の辺りだが、ここは切り通しにはなっていない。ここを過ぎると再び仙谷川沿いになる。


 またレールを見つけた。結構長い。先端を見なかったが、まるごと一本残っていそうだ。


 そして下がそうだったように、こちらも藪に突っ込んでいる。


 そんな軌道も、やがて斜めに切れ落ちて途絶えている。



ここでまたも仙谷川を渡っている。対岸に橋台が確認できる。ここはE地点のすぐ目と鼻の先である。とてつもなく曲がりくねっているので、同じところを行ったり来たりしているだけだったりする。


 対岸への道は用意されていないので、一旦E地点に戻り、そこから直接上段の軌道に上がった。ちなみにH地点からF→広場と直接行き来できる山道があった。人間は素直に軌道を歩く必要はない。この点に限れば、鉄道とは非効率なものである。



 I地点から次のヘアピンまでは若干距離が長い。雑草や灌木は少なく、歩きやすい区間といえる。

しばらく行くと、軌道跡と交差するように小川が流れており、そこから連続して切り通しが残っている。橋を渡ってすぐ切り通しという、絵になる構図だが、ボコボコに荒れている。起点側の橋台だけが残っているが、それも大きなダメージを負っている。切り通しは保存状態が良い。路面に堆積物もなく、当時の状態をよく残しているだろう。


 切り通しを抜けて少し行くと、対岸に石積みが見えた。この道の行先である。軌道はこの先で川を渡り、ヘアピンで折り返してあそこへ続いているはずだ。


 こちらが進む(=登る)に連れて、対岸の石積みは下がってくる。今はまだ目線より高い所に見えるが、あっちとこっちの高さが同じになったとき、そこは橋の跡であるはずだ。


想定した通り、間もなく川を挟んで橋台が現れた。


 そしてまた下の地面が遠い・・・・。



前のページ  次のページ


サイトトップに戻る  廃線メニューに戻る