安居林用軌道安居線12


 小さな切り通しを抜けると・・・・
 A
 この区間の最難関に差し掛かる。
 谷越えの橋の跡である。ここにも山仕事のための丸太橋が架けられているが、谷の幅が広いため、何本かに分かれた不安定な橋を乗り移らなければならない。
 中間地点から下界を見る。
 はるか遠くに林道が見える。あの林道もこの上流で川を渡り、この軌道跡に重なるはずである。
 その林道から軌道跡を見上げた写真がある。激しくガレた小沢の上を軌道が横切っている。地形図から読み取れる安居川との高低差は150m。落っこちたらおろし器の上を転げまわるようなものだ。
 起点側の橋台は奇跡的に残っている。
 恐怖の丸橋を渡り終え、成果を噛み締めた一枚。当初は楽に渡れるように配置されていたと思うが、水場に近いこともあって、今は傷んでズレたり傾いたりしている。
 恐怖の丸太橋を過ぎると、前方が明るい。
 車道に抜けた。奥安居の難所をついに征服した。
 しかし、軌道跡と車道との間には段差がある。
 この、車道の下にちょっとだけ見える足場に軌道を通していたのだろうか。
 多分そうなのだろう。そもそもこの車道ができたのは、軌道が廃止されて大分経ってからのはずだ。
 B
 このカーブ付近で車道の勾配に変化が見られる。ここからが本来の軌道の道筋だろう。
 ここからしばらくは車道化された林道を歩くことになる。標高は1000mを超えたか超えないあたり。近くの山々がやたら近くに感じられる。
 車道から大滝神社方面を見下ろす。パラグライダーで飛び出したくなるような眺望だ。経験者なら宝来荘辺りまで飛べるかな? ちなみに宝来荘付近の標高は450m弱。軌道はここまで500m以上も登ってきたのだ。
 車道も起点からは9キロと、結構な道程を走ってきている。
 ・・・・マルフクの看板ってホント色んな所にあるのな。もう廃業しちゃったけど。
 この車道も負けず劣らずダイナミックな景色を生み出している。
 C
 この場所で、車道は下り勾配に転じる。軌道由来の車道ではありえない事態だ。なぜなら、神社以降の軌道は手押しであり、重力任せで坂を下ってくるのだ。だから、途中には上り勾配はおろか、レベル区間でさえ極力避けていたはずなのだ。つまり、この勾配は軌道由来ではないと判断できる。
 ならば、斜面の上部に軌道跡が残っているはずだ。分岐してすぐは車道に削られているが、もう少し進めば何かしら痕跡を探せるだろう。上部に注意を払いつつ、道を進んだ。だが、車道は2013年の台風でことごとく崩壊しており、行く手を阻んでいる。
 この場所には巨大なコルゲートパイプが埋設され、谷の水を通していたはずだが、すっかり洗い流されている。最初にここを訪問したのは2013年の春で、車道が通れなくなる前の最後のシーズンだった。当然この場所も何事もなく、通行に全くストレスを感じなかった(筒上山の登山口前にチェーンが張られていたので、どのみち自動車の進入はできなかったが)。それが今や滝壺と化している。
 しかし、その滝壺の上を見ると・・・・
 D
 ある!
 滝の流れる斜面はつるつるな一枚岩になっており、手がかりといえば脇に生えるこの小木しかなさそうだが・・・・
 幸いにして、先人の設置したロープが残っていた。
 軌道跡に復帰した。起点側はすぐに車道に飲み込まれ、途絶えている。
 なので更に奥を目指す。
 滝の上部はずっと一枚岩になっており、築堤か橋かどうなっていたのかわからないが、綺麗サッパリ洗い流されている。
 車道を見下ろすと、コルゲートパイプが露出した臓物のようで、痛々しさをありありと見せつけている。
 滝を過ぎ、奥へ続く軌道跡。
 いくらも進まないうちに、築堤が崩落していた。
 地味に高さがあったので、大事をとって高巻きした。
 反対側は浅い溝になっている。
 そのすぐ先は桟橋になっていたのか、またも通過に難儀させられた。
 E
 だが、そこを越えるとまたもご褒美が待っていた。車道の真上がこうなっていたとは・・・・
 片洞門の中には焚き火の跡が残っていた。誰だ、こんなところで野宿したのは。
 飴のあとにはムチが待っているものである。片洞門をくぐるとすぐこんな所に出た。なんだろう? このさっきとの落差は。
 難所を過ぎると、路盤はつかの間の落ち着きを見せる。
 そして、ある意味でこの区間最凶のエリアへと突入する。

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