土讃線大歩危トンネル旧線その2



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 この区間で最も北(多度津寄り)にあるトンネルだ。名前がわからないので先駆者に倣って第一トンネルと呼ぶ。10年ぶりの訪問なわけだが、トンネル入口に土砂が積もっていたのはよく覚えている。内部の様子はあまり記憶に残っていない。


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 入洞。やはりこの瞬間がたまらない。延長はさほど長くなく、出口が大きく見えている。地面もぼんやり見えているので照明要らず。


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 天井には所々黒い紋様が残っている。蒸気機関車のばい煙がこびりついたものだ。蒸気機関車は排煙を良くするため、煙突の下部から蒸気を噴出するようになっている。なので湿り気を帯びた煤がトンネルの天井に勢いよくぶつかり、激しくこびりつく。ただ、これはかなり薄い方な気がする。画像検索すると、全体的に真っ黒に汚れたトンネルの写真が出てくる。現役期間の短さ故か、助士の腕前が良かったのか。


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 洞内の壁にはこのような凹みが見られる。これも土讃線の旧線ではよく目にする。退避坑のようにも見えるが、明らかに穴が浅く、地山が露出していておまけに壁が傾斜している(要するに掘りっ放し)ものもあるので、セメントを節約したかったというのが本当のところだろう。そもそも退避坑にしてはたくさん作りすぎている。


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 第一トンネル出口。


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 トンネルを出たところはすぐに橋になっている。川でない所でも、急峻な地形を避けるため陸橋が多用されている。これも名前がわかないので、第二橋梁と呼ぼうと思う。第一は家見谷。総数を数えるため数に入れた。


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 橋台の横っちょにはコンクリートでできた杭が残っている。三角形で白く塗られていた痕があるので距離標だと思われる。大歩危トンネルの入口がおよそ65.9キロだったので、66キロポストになるのだろう。気になるのは形状が若干違う所。通常のキロポストはてっぺんが三角形に尖っているが、これは平たい。ゾロ目だから特別な形にしたのだろうか? 距離標以外に似たような形の標柱がないか探してみたが、今の所「これだ!」というものは見つかっていない。


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 第二橋梁跡をどう攻略するかだが、幸いここは容易に通過できそうだ。


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 なお「鉄道廃線跡を歩く」によると橋梁跡は13ヶ所あるという。


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 岩原側は崩落していて、橋台は埋まってしまったのか見当たらない。


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 崩落は軽微なもの。乗り越えるとすぐに第三橋梁の跡。


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 第二橋梁よりも若干規模が大きく見える。しかし間に橋脚はなく、一径間の橋だったようだ。


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 大歩危側の橋台。切り替え後画像は岩原側の鏡台。


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 谷は深いが此処も然程労せず通過出来る。


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 この谷には古いバッテリーが置かれていた。完全に忘れていたが、10年前のフォルダにもこのバッテリーの写真があった。何年経っても自分の頭の中身は進歩していないようだ。それはさておき、気軽に不法投棄しに来るには場所が悪すぎるが、現役時代の保線屋の置き土産だろうか。新線への切り替えは1968年だが、まさか50年も置きっぱ? それより真ん中についているアタッチメント?が気になる。6V取り出し用かな?


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 岩原側の橋台の後ろはアーチ構造になっていた。隙間が小さいが、律儀に型枠を組んだんだよな・・・?


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 岩原側より大歩危側を見たところ。植生で見通しは良くない。この付近にはいくらか 枕木 画像が見られる。


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 それから程なく浅い切り通しを抜ける。その先には土砂が山から流れ込んできているのが見える。


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 初めの方は緩やかな斜面だったが、だんだんキツくなってきた。これじゃあいつもの林鉄跡とそう変わらん。


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 つか地味に長い。どこまで続くんだ?


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 たっぷり5分くらい歩いて漸く元の路面が見えた。百m位の幅で地すべりを起こしているようだ。"土惨線"の単語が頭に過る。


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 路面が復活した所は第四橋梁にすぐの所。この橋も短い。


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 傾斜も緩やかなので沢渡りも容易。


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 岩原側より大歩危側を見る。橋跡のすぐ手前まで土砂が迫っているが、かつてはここに線路が敷かれ列車が走り抜けていた。


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 反対方向。岩原側。打って変わって落ち着いた路面が伸びている。


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 途中石積みで囲われたスペースが有った。プラットホームのような感じだが、中間に駅や信号所等は無かったはず。保線小屋でも建ってたのかな? 傍らには 懐かしい感じの缶画像が落ちていた。銘柄は読めないが、缶切りで開けた飲み口がレトロ。 懐かしくない缶画像も落ちているので、この辺は時々訪れるものがいるようだ。 酒の缶画像まで落ちているが、千鳥足で廃線を歩くのはオススメしない。 


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 機械箱の土台。すぐ横にはセットで木製電柱画像の切り株が残っているが、何が取り付けられていたかは不明。大歩危駅の遠方信号とか?


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 何故かタイヤが転がっている。態々捨てに来るには場所が過酷すぎるので、上から転がり落とされたのだろうが、転がした人はここに線路が無いことを把握した上で転がしたのだろうか。不法投棄自体もアレだが、場合によっちゃあ大惨事になりかねない。


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 だんだん傾斜が急になってきた。崩壊を防ぐため、斜面はコンクリートで固められている。点々と並ぶのは落石避けの柵の跡。古レール 画像が使われている。 この写真画像の撮影場所ではないかと思ったが、基部の高さが違う気がする。 他には切り損ないのアングル材画像なんかがだらしなく垂れている。これは10年前にはまっすぐ横を向いていた。落石か倒木が当たったのか、根本が錆びて自重で下がってきたのか。


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 この付近で一際目立っているのがこの鉄塔だ。古レールかと思ったらアングル材で作られている。番札も残っている(切り替え後の画像)。11と23と書いてあると思ったら、横棒が掠れて消えているようだ。「自13」が正解。意味はサッパリ。下の小さな字はR10m,昭13.3と書いてあるようだ。昭和13年3月に建てたということだろうか。結構古いな。 根本がやばい画像ので近いうちに倒れそう。


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 木製電柱も埋まっている。工部省マーク入りのプレートも残っている。 10年前画像 は捲れていなかったが、何の要因でこうなったのだろう。昭和10年10月は開通の前月。11月末に三縄-豊永間が開通し、最後の陸の孤島と呼ばれた高知が鉄道で結ばれた。10月は開業に向けて最後の追い込みをかけている頃だろうか。今(2021年)から86年も前のことだ。ちなみに同じような電柱を大志呂の旧線(岩原-豊永)でも見た。


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 そして再度距離標を発見した。こちらは先端が尖っていて、見慣れた距離表の形をしている。1キロにはまだ早いので、66.5キロポストになるのだろう。文字どころか下地の白色ごと溶けて完全にセメントの地が出ている。
 距離と言えばだが、ここ大歩危-土佐岩原間は、南北双方から建設が進められた土讃線のレールが締結された所でもある。具体的な位置は、「四国鉄道75年史」には琴平から55キロの位置とある。琴平駅のキロ程は多度津起点11.3キロ。55を足せば66.3キロ。つまりこの200mほど大歩危寄りとなり、ちょうど上2つの写真付近となる。 この時の記念写真画像が諸資料に掲載されているが、切り取り部や路体がコンクリートで固められているところとか似ている気がする。ただ、別の資料では55.995キロ(ほぼ56キロ)という数字を出しているので要検証。


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 再び地形が緩んでくる。山からの水で道床が抉られている。


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 この斜面は石積みをセメントで固てあり、時代が古そうに見える。昭和10年の開通当時から土砂崩れを防ぐため、切り取り斜面をコンクリートで固めるなどの工事が行われたと言う。これはそういった初期の施工かもしれない。


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 反対側にはコンクリートの棒が立つ。これも何らかの鉄道構造物だったようだが、用途は今やわからない。電柱の切り株もセットで残っている。


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 それにしても、ばかに歩きやすい。まるで刈払でもしてあるのかと言う位。この冬は寒冬気味で、数日前に積雪したほどだったからだろう。そう言えば、10年前の写真を見返してみると、5月の連休あたりと見間違えるくらい草木が青々している。チェンジ後の画像はほぼ同じ場所の10年前の様子。榎から降りて逆打ちしたので方向は逆。同じ1月4日の撮影だが嫌に彩度が高い。この年の気候を調べてみると、やはり全国的に暖冬傾向だったようだ。


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 沿道に鉄棒が林立している。杉葉と同化していて見にくい。斜面を転がってきた落石をキャッチするために金網を張っていたのだと思う。


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 こちらは斜面の高い所に立てられている鉄柱。黒い丸いものがついている。アレは落石検知用のワイヤーを固定していた支部。ワイヤーが切断されると近隣の駅で警報がなる仕組みになっていた。 反対側には機械箱画像の基部もある。きっとワイヤーはこの中に繋がっていたのだろう。


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 その先は不思議なことになっていて、地面が一段下がっている。


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 断面はセメントで固めてあり、廃止後にこうなった風ではない。


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 一段下がったまま十数メートル進むと第五橋梁跡。橋台が異常に突き出していると言うより胸壁が異常に陸地側に後退している。なぜこのような造りにしてあるのかは不明。


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 この谷はこの区間で1,2を争う深さ。個人的にこの地形はで二番目に難しいと感じた。そしてその先には第二トンネルが不気味な暗がりを見せている。




               


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