土讃線大歩危トンネル旧線その8



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 トンネルを出発。すぐ先に溝が横切っている。バラストを崩さないためなのか、コンクリートの耳のようなものが残っている。
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 その先に大きめの切り通しがある。さっきの第二山子トンネルもこういう感じの所に作ったんだろうな。ここは落石の心配はなかったのかな?
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 切り通しの内側の擁壁。矢羽積み?をセメントで固めてある。
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 切り通しの周りには、最近木を伐ったあとがある。意外と人の出入りがあるのかな?
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 ここにもある鉄製電柱を切ったあと。何か干す台に再利用されていた。ちなみに中はゴミ箱になっていた。結構最近のがあるな。
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 「刈払でもしてるのか?」ってぐらい綺麗な路盤が残る。バラストもそのままで廃止当時から時が止まっているよう。
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 そんな所に場違いに丸椅子が残っている。木を切りに来た人が休憩用に持ってきたのかね。
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 やがて山の斜面が迫ってきて周囲が鬱蒼とし始めるとトンネルが現れる。
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第12トンネル(岩屋)。中に色んなものが見える。
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 ここでは川漁師が中に掘っ立て小屋を建てて、タモ網なんかを干していたそうだ。ただマフ巻き氏らが探索した頃には既に使われなくなっていたそうで、それから更に10数年、崩壊が進んでいる。 古いキリンビールの缶画像スプライトの瓶画像なんかが残っていて、結構昔から利用されていたようだ。歳をとって引退したのかな?


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 他にはないこのトンネルの特徴に、明かり取りの窓がある。現役区間では小歩危と大歩危の間で見たことがあるけど、この旧線では多分ここだけ。
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 奥に進むと、塞がれた痕が更に2つある。開口している4ヶ所と合わせると元々は6つの窓があったようだ。
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 外側に出てみると、こちら側にも窓の痕跡がある。かなり上の方まで土砂に埋もれている。土砂が浸入するので塞いだようだ。
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 視線を横に向けると、イカの耳のようなもの。そういや入り口に1955年の陰刻画像があった。この窓付きの部分は後付で、あのイカ耳が元々の坑口だろう。


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 内側も見てみる。この部分からもとの坑口で、壁の模様が違う。さらに垂直だった壁が馬蹄型に変わっている。
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 その他にもこのトンネルには側溝が走っている。どこかで漏水しているみたいで、奥の方から大きな水音がしている。冬場の探索だというのに結構な水が流れてきている。水の流れにより、岩原側から大歩危側に向けて緩やかな下り坂になっているのがわかる。
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 トンネル奥(岩原方)を見る。その先にも次のトンネルが見えている。あれがこの旧線最後のトンネルだ。
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 入口側(大歩危方)を見る。
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 出口付近。滝のような音はここから響いていた。コンクリートの継ぎ目から水が湧き出している。トンネル内の溝はこれの排水用。建造当時からあるのか1955年に改修されたのかはわからないが。冬場の探索だというのに結構な量が流れている。水は大きな樽に集められ、黒いホースがトンネル出口(岩原方)へと伸びている。
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 トンネル出口はそこからすぐ間近。ここにも猫車が。樽の持ち主が持ち込んだのかな。その先、次のトンネルももう目の前。
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 出口前からトンネル内を振り返って。樽は出口からかなり近いところにある。壁や天井には広範囲に水が染みている。地下水の通り道でもあるのかね。
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 第12トンネル岩原口。こちらもずいぶんと雑物が多い。
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 ここにもやっぱりある銘書き。当時は正しい名前を知らなかったので想像もつかなかったが、今なら岩という字の難しいやつに見える。まあバランスが悪いし下により過ぎだし、多分違うんだろうけど。
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 12,13トンネル間は谷間になっており、コンクリートのアーチが残されている。これは橋梁一覧にはデータが無いので橋とは扱われていなかったようだ。
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 一部が石積みになっている。これもセメントの節約かな? 
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 「それにしても雑物が多いなあ」と見ていると、滑車が引っ張られて宙に浮いているのが目に入った。それは吉野川をひと跨ぎにして対岸へ続いている。おそらく「そば茶屋」の少し北の辺りに繋がっている。
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 対岸にはゴンドラが待機している。野猿と呼ばれるものだ。なるほど、通りでいろんなものが残っているわけだ。こんな気軽に渡ってこられる手段があったとは。これを使えば帰り道は楽そうだが、人のものを勝手に使うわけにはいくまいね。もっともいつ作られたか分からないもの、仮に「どうぞ」と言われも素直に「うん」とは言いづらい。
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 野猿の反対側の山の斜面にも発見があった。一軒の家屋が建っている。おそらく廃屋。かつての住民はあのゴンドラで行き来していたのだろうか。
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 めったに来るような場所でもないので、折角なので覗かせてもらった。と言っても面白そうなものはなにもない。と言うか倒壊一歩手前。もうずいぶん前に空き家になったようだ。
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 廃屋の周りには石積みが段々に残っている。過去の空中写真にも段畑だった様子が写っている。住民は農家を営みながら慎ましく暮らしていたようだ。あるいはかなり早い内に無人になった後、農業小屋として使われていたのかも。
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 家の前から最後のトンネルが見える。あれを潜ればいよいよこの旧線も終りとなる。



               


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