土讃線大歩危トンネル旧線その5



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なくなっている城瀬谷の橋梁を迂回するため、トンネルを出てすぐ横の斜面に取り付いている。ここは足場が狭く、かなり危険。個人的に大歩危の旧線で3番めの難易度。


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 道なりに進み奥まで進む。谷底が1メートルぐらいの低さになっているので飛び降りる。水は枯れている。


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 南側の斜面は傾斜がゆるいので橋台横まで登っていける。


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 途中、第5トンネルの出口(岩原口)が見えた。


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そしてこちらは第6(第一城瀬)トンネル入り口。


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 内部。他と変わりない。


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 出口。


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 そこから即第7(第二城瀬)トンネル。入口手前に小規模な崩落あり。


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 内部はやや左にカーブしている。延長も100mを越え比較的長い部類に入る。


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 このトンネルは出口近くでひと回り小さくなっていた。


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 トンネル出口は崩落しており、坑口の高さ半分まで埋まっている。水も流れ込んでいるようで、洞内には枯れ葉や土砂 画像が大量に入り込んでいる。歩くとバラストのゴツゴツした感じではなく、とてもフカフカしていた。


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 第七トンネル出口。


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 トンネル出口は小さな谷になっている。昔からネックになっていたようで、斜面の結構高いところにも土留めが見える。


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 トンネルを出るとさらに次のトンネルが待っている。旧トンネルは後半2キロに固まっているようだ。さながらトンネル銀座と言ったところ。楽しいが、その度GPSが途切れてしまうのが難点。


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 第8トンネル入り口。名前は天子山。この付近にそんな地名があるのかと調べてみたが、見つからなかった。今は消えてしまった名前が廃トンネルに残っているのかも?


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 このトンネルも110mほどあり、結構長い部類に入る。右にカーブしていて出口が見えないが、光の反射で出口が近いことが分かる。


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 トンネル内の様子。忘れ物の枕木が画像一本。


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出口。ここはすぐ川に面している。


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 第8トンネル出口。狭くて下がりきれないので、より広角で撮れるスマホで撮影。


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 トンネル出口には電柱代わりに古レールが立てられていた。刻印を見るに、八幡製鉄所製の60ポンドレール(≒30キロ)と見える。製造は1929年とある。


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 この川は旧線と交差している中では唯一名称がハッキリしていて、地形図には谷間川とある。橋梁名も川の名前と同じ。ここも負けず劣らず谷底が深い。


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 ここも坑口脇に踏み跡があった。迂回できそうだ。


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 踏み跡は杉林を少し進んだあと明るいところに出た。土石流の痕なのか、草木がなぎ倒されている。


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 鉄砲水の跡を横断して再び杉林に入ると、石積みがたくさん残っていた。昔はこの川沿いにも集落か農地があったようだ。


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 谷を下って橋脚の下へ。


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 第8トンネル岩原口。


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 橋脚は一本だけかと思ったら岩原側の陸地に短いのが立っていた。橋梁一覧のデータとも一致する。


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 岩原側橋台。


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 岩原側より岩間川橋梁跡を見る。


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 岩原側を見る。


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 しばらく明かり区間が続くようだ。


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 程なく、吉野川を見下ろせる眺めの良いところに出た。旧線を走行していた頃の土讃線は車窓もウリの一つだった。今は長大トンネルが増えた上にロックシェッドが整備されたこと、沿線の立木が育ったことにより、景色を楽しめる箇所はかなり減っている。


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 そこからほど近くに落石防止柵が残っていた。廃レールが使われており、後付なのが分かる。現役時代、幾度となく落石に悩まされたようだ。一部が千切れて崩壊している。


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 犯人。今も危険は去っていないようだ。


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 そこから幾らも離れていない所。山手が一段下がっている。見ると下がアーチになっている。


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 更にそのすぐ先ではコンクリートの橋が連続している。短い桁が連続していて、橋脚も狭い間隔に林立している。下は川になっているわけではなくて、完全に陸橋になっている。探索当時は資料がなかった(入手したのは4ページ目を書いている途中)ので、「面白いことになってんな」くらいにしか思わなかったのだが、橋梁表画像によるとこのアーチとコンクリートの陸橋は第一及び第二岩山橋梁という橋だったらしい。当時は知らなかったので、大してじっくり調べず通り過ぎてしまった。なのでこの辺りは2回目の森善橋梁を調べるついでに足を伸ばして調べ直した。詳細は次回。




               


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