土讃線大歩危トンネル旧線その9



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 長いようで短いようで長かったこの旧線ラストのトンネルを飾るのは一本樫トンネル(第13)。なんだか潜るのが惜しい気もする。


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 痛恨の手ブレ写真。このトンネルは特記するような特徴は無かったと記憶しているので、問題ないと言えば無いが・・・。


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 一本樫トンネル出口。この旧線のトンネルはすべて開口していた。まあ立地的にも費用的にも今更塞ぎに来るような所でもないだろうし、土砂崩れでもない限り今後も塞がることはないだろう。もっとも土讃線ではその土砂崩れが一番怖いわけだが。


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 トンネルを出るとすぐに橋梁跡。19番目のこの橋梁もこの旧線の最後を飾るものだ。名称は唐谷。


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 橋脚が一本見える。その向こうには橋台。二径間の橋だったようだ。ここを渡れば、まもなく大歩危トンネルから出てきた新線と合流するはずだ。だが、斜面はコンクリートで固められ、手がかり足がかりがなく、対岸へ渡るのは難しそうに見えた。先達のレポートでこの状況は事前に知っていたので、自分もここで終わってもいいかなと考えていた。ただその前に、新線を走る列車の様子を拝んでいきたいと思った。スマホで時刻表を確認すると、折よく特急列車が通過する時間が近い。しかも大歩危駅で交換して上下の列車が通るらしい。それで この場でその時を待った。やがて時刻表の通り、轟音が響いてきた。カメラを構えて撮り逃すまいと構えていたが、音だけでその姿は見えなかった。おもわず「対岸を走るトラックの音か?」と考えたほどだ。てっきり橋を渡ればすぐにでも新線と合流すると思っていたのだが、自分が思っているよりもまだ残りがあるようだ。


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 それで予定を変更してどうにか向こう側へ行きたいと思った。「鉄道廃線跡を歩く」にはこの先の合流点の写真が掲載されているので、どこかにルートがあるはずだ。しかしすぐ横の斜面は切り立った岩場と手掛かりのないコンクリートの壁なっている。しかも間に深い溝があって、ジャンプしなければ壁に触ることすらできない。したら落ちる。


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 谷底を見てみる。下へ行くのは簡単そう。問題は向こう側。橋脚の横はもちろん、橋台の下もセメントで固められていて登るのは難しそう。見えない所に登れそうな所があることを期待して降りるのもアリだけど、目論見が外れたら地味に凹む。


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 なのでトンネルの上から高巻きを敢行する。


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 川手の方から坑口横を登り、トンネルの真上にきた。思ったよりも高い。


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 そして橋梁と平行に移動。流石にここは過酷だった。踏み跡などあるはずもなく。古い落石キャッチの網が残っているので、最悪でも滑落する心配は無いのが救い。


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 古レールの柵も残っている。鉄橋に被害があると普通以上の大惨事につながるので、設備も厳重。柵越しに大歩危側の橋台が見えている。


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 途中また列車の音が聞こえてきた。大歩危駅ですれ違った列車が大歩危トンネルを抜けてきたようだ。変に待たずにさっさと進んでいれば、列車が走る様子を直に見られていたかもしれない。ちょっぴり残念。
 やがてコンクリートウォールの端に来た。


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 若干の植生があるのと、岩と壁の間で体を突っ張りながら降りてこられそうということで、ここから軌道跡に降りた。降りたはいいが、戻るのは無理くさい。帰りはどうしようかね。この日一番難しかったのがここの迂回だった。危険も危険だが、何より面倒くさかった。


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 大歩危側を望む。植生で見通し悪し。ここの迂回に8分ほどかかった。たかが8分だが、それで進んだのが精々30mと思うと大きなロスだ。


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 岩原方。こっちも半藪化。藪越しにロックシェードが見える。なるほど、大した距離ではないが、確かに少しだけ続きがある。


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 ゴールが近づいてきた。横のコンクリートの壁は大歩危トンネルの坑口だ。


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 旧線はそのままロックシェードの中へ。新線のレールも出てきた。


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 大歩危トンネルの岩原側の銘板。 入り口のもの画像と比べると着手と竣工の日が2ヶ月ほど遅い。岩原側の工事が2ヶ月始めるのが遅かったせいだが、わざわざ日付を変えるなんて律儀だな。キロ程はもちろん4179mを足した70.052キロになっている。キロ程で思い出したが、新旧の時刻表を見比べてみたところ、新線時代と旧線時代で営業キロに変化はなかったようだ。橋梁表画像の家見谷と唐岩橋梁のキロ程を引き算してみると、およそ4.1キロになる。家見谷橋梁の延長を引いて唐谷橋梁から大歩危トンネル岩原口までの距離を足したら丁度その位になりそうだ。


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 開通前の一コマ。旧線上を急行がゆく。奥には一本樫トンネルの坑口も見える。ロックシェードは新しいものかと思っていたが、切り替え前に作られたものだった。真ん中の柱は流石に切り替え後に足されたようだが。ちなみに新聞には他にも、岩原側から旧線下を横切って横坑を掘って新線に繋げたという記述があった。どこかに横構の入り口が眠っているのかもしれない。
←高知新聞朝刊より引用


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 歩き始めて4時間半、大歩危トンネル旧線を征服した。嗚呼感無量。さて、時刻はまだ1時を過ぎたところ。思っていたよりずいぶん早く終わった。ここから500mくらい南に周志トンネルの旧線もある。気分が滾ったのでこのまま周志トンネル再訪編をやってしまおうかと思った。


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 結論を言うとそれはしなかった。土讃線の車内から旧線の分岐を見たいと思った(と言うのは建前で、県境越えの普通列車に久しく乗っていなかったので乗りたくなった)。スマホ(電波通じた)で時刻表を見たら1時間半後に上り列車があってちょうどよかった。それでそのまま車道に上がって土佐岩原駅へ向かうことにした。周志トンネルの旧線は途中の茶畑から見下ろすことができた。ちなみに周志トンネル旧線は一年後(2022年1月)に再訪したので気が向いたら書く。
←周志トンネルの新旧分岐(メガネトンネル)


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 テケテケと車道を歩いたら一時間ほどで駅前についた。30分ほど余裕があったので、先に通過する下り列車の写真なんかを撮りながらゆっくり待てた。


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 やがて上り列車がやってきた。普通列車はキハ58や32,54など国鉄車の独擅場だった土讃線の山線も、徳島を追い出された1000型の巣窟となっていた。車内は正月休みとあってか鉄ちゃんみたいな人がチラホラ。自分もそうだけど。


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 列車の最前部に陣取り、分岐を写そうとカメラを構えた。山行きの格好をした奴が急にかぶりつきを始めたので不審に思ったことだろう。一度しかないチャンスを逃すまいと身構えていたせいか、周志トンネルを大歩危トンネルと間違えてしまった。
←周志トンネルの新旧分岐(岩原側)


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 本番は本番で痛恨のピンボケ写真になってしまった。ガラスでピントが迷ったようだ。昔はなかったトラロープのせいでかぶりつきが出来なかったのよ。(と言うか1500型が入って徳島から玉突きで来たやつがトラロープを張ってるのかな)


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 ガラスにギリギリまで寄れる後ろ側はキレイに撮れた。
←家見谷の新旧分岐


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 大歩危駅に帰還。乗車した時間は10分足らず。今日5時間半(廃線の4時間半+岩原駅へ歩いた1時間)かけて歩いた距離が、たったの数分である。文明の利器って素晴らしい。




               


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